江戸系(江戸花菖蒲)


「昂」(すばる):1994年に当園が作出した現代の江戸花菖蒲。濃紫に鮮明な白糸覆輪が入る中輪花。


 江戸時代初期の家康、秀忠、家光の三代将軍の花癖が元になり、日本のみならず、海外からもさまざまな草花が江戸に集つまり、江戸は世界に類を見ない園芸都市に発達します。こんにちよく見かけるツバキ、ツツジ、キク、ボタン、また、古典園芸植物と呼ばれる富貴蘭や松葉蘭など、実にさまざまな園芸植物が、この時代に発達しました。
 こうした風潮の中で、花菖蒲も各地からさまざまな変わり花が江戸に集められ、次第に改良され、発達してゆきました。

 江戸時代も中頃になると、堀切(東京・葛飾区)に、わが国初の花菖蒲園(後に小高園となる堀切村の百姓・伊左衛門の花菖蒲園)が開かれて、もの見高い江戸っ子の行楽地の一つとなり、天保のころには広重の浮世絵にも描かれるほど活況を見せました。

 そして江戸時代の末期、二千五石取りの旗本、松平左金吾定朝、通称菖翁(1773〜1856)は、200品種をはるかに越えるすぐれた新花を育成し、不朽の名著『花菖培養録』をあらわしました。本格的な花菖蒲文化は、この時期に大成されたといっても良いでしょう。堀切にはその後「武蔵園」「吉野園」「観花園」が、そして明治26年には明治神宮に花菖蒲園が設けられています。

 こうして江戸で大成した花菖蒲を中心に、現在まで改良が続いてきた品種群が、現在、江戸花菖蒲と呼ばれる系統です。ちなみに大正時代から昭和の初期に肥後系(熊本花菖蒲)や伊勢花菖蒲が一般に知られるようになるまでは、単に花菖蒲と呼べばこの江戸花菖蒲を指しました。


江戸花菖蒲の特色

 江戸花菖蒲は主に花菖蒲園に植えて、群生の美しさを鑑賞してきた系統なので、風雨に強く、草丈も比較的高く、江戸っ子好みのすっきりとした粋な感じの花が多く見られます。また、奇花も含め多様な花形が見られるのも江戸花菖蒲の特徴です。
戦後、各地に花菖蒲園が多く誕生するにつれ、群生の美しさを誇る江戸系が改めて見直され、すぐれた品種が育成されています。


江戸系独特の花容表現
三英花、六英花(さんえいか、ろくえいか)
 これは花菖蒲独特の花容表現で、江戸系に限らず、すべての系統で使われています。外花被(外側の大きな花弁)が三枚のものを三英花、六枚のものを六英花と呼びます。
受け咲き(うけざき) 
 江戸花菖蒲は江戸っ子のさっぱりとした気質が生み出した花です。とりわけ江戸時代は、花弁がだらしなく垂れるのをあまり好みませんでした。こういった風潮、美意識の中で、発達して来たのが受け咲きという花型です。花弁が垂れずに水平に、時にはやや抱え咲きに近くなるほどの花形をも良しとしました。この花形の代表的な品種には「酔美人」や「万代の波」等があります。

堅 花(けんか)
 この堅花であるとされる品種は、同時に受け咲きでもあることも多いのです。堅花とは、花弁がしっかりとしていて堅く、柔らかく垂れない花という程の意味で、こういった品種はつまりは受け咲きです。また葉も剣のようにピンと立ち、垂れていないことも堅花の条件だったようです。江戸っ子気質が生み出した花、それが受け咲きであり堅花であるわけです。ただこの堅花という言葉は、最近では殆ど使われなくなりました。


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