花菖蒲の品種改良


     加茂花菖蒲園  一江 豊一


「創世紀」(そうせいき)・現時点で約200品種の新花を作出した、一江氏最新の傑作品種。濃紫に糸覆輪の入る極大輪花。


 品種改良、育種と言うと、なんだか難しいことのようなイメージをもたれる方も多いと思いますが、その作業手順は至って簡単しかも単純で、交配、播種育苗、選抜の繰り返しにすぎません。

 花菖蒲は、交配から開花までの期間が2年と短く、栄養繁殖が出来ますから、煩雑な固定作業は必要ありません。よって、選抜した優良個体がある程度の数に殖えさえすれば、即、品種として確立することが可能です。ですから、一般趣味家が改良に取り組むのには適した植物と言えます。
 品種改良の目的は、今までにない優れた品種を育成することにありますが、要領さえつかめば何も難しいことはなく、根気よく継続すれば、誰にでも成果をあげられる、実に楽しい仕事です。以下に、参考となるように要点をまとめてみましたので、皆さんも花菖蒲の品種改良にチャレンジしてみてください。



(1)交配から実生の開花まで
 実際の交配を行ない、そこから得られた種子を育てるためには、あらかじめ知っておかなければならない事項がいくつかありますので簡単に説明しておきましょう。

花の構造
 花の中心にあるのが雌蕊、先が3つに分かれて(蕊片と呼ばれる)、その先にシベ片があり、シベ片の基に柱頭(花粉の付くところ)があります。開花一日目には、柱頭は開いておらず、二日目に受粉しやすい形に開いてくる。雄シベは、蕊片を傘にして水に弱い花粉を、雨から守るような形で、雌シベの下に隠れています。 

袋掛けは不要
 花菖蒲には、トラマルハナバチ、ミツバチ等がよく訪れ、これらの昆虫が花粉の媒介を行なっていると思われます。よく観察していると、これらの虫たちは、花弁の基の黄色い部分を目当てに飛んで来て、蜜を吸うために雌蕊の下に潜り込みます。この時、彼女らの背中に花粉が付き、その花粉でその後に訪れる花に受粉が行なわれる仕組みです。花弁の基部の通常目と呼ばれる黄色い部分は、虫に蜜の在処を教えるためのネクターガイドと呼ばれるのもであると考えられます。よってこの花弁を開花前に取り除いてしまえば、虫にとっての目標が無くなるために、昆虫の訪花がぐっと少なくなるし、虫の足場が無くなるため媒介昆虫の背中に付いている花粉が交配しよとうする花の柱頭に付く可能性はほとんど無くなります。ですから、特別な場合以外では、袋掛けの必要はありません。又、100%確実な交配種子を取る必要がないならば、開花1日目のまだ開いていない柱頭部分に受粉してやれば、大部分の胚珠がこの花粉で受精が行なわれてから、柱頭が開くようになるので、後に、虫媒により少数の目的としない種子が混じっても構わないという考え方もできます。この場合には、花を壊す必要が有 りませんので、花を鑑賞しながら、交配採種が可能となります。 

交 配
 交配の方法は至って簡単で、ピンセットや爪楊枝で、希望品種の花粉を選定した雌親の柱頭に付けてやるだけです。開花1日目に交配する場合は、柱頭をそっと開いて花粉を押し込むようにします。交配が終わったら、ラベルに交配日、交配親を記入して花首に付けておきます。このとき、1番花か2番花かどちらに交配したか分かるような形でくくり付ける事が大切です。ラベルは、ビニール袋を帯状に切ったものに油性マーカーで書くのが簡便です。花粉は、葯から取り出して、乾燥剤と共に密封容器に入れて冷蔵庫で保存すれば、1カ月位は充分に受粉能力を保ちます。 

採 種
 種子は、交配から50〜60日で発芽能力を持ち始め、80〜90日で完熟となります。花菖蒲の果実は、先が少しづつ裂けるだけなので、カキツバタのようにじきに種子が全部こぼれてしまうようなことはありません。けれども、あまり長く放置すると風で種子の大部分がこぼれたり、雨に濡れて果実の中で発芽が始まったりすることもありますので、完熟近くなったら時々見回り、熟した果実をラベルと供に採種します。 

播 種
 採種してすぐに蒔く秋蒔きと、種子を保存しておいて翌春に蒔く春蒔きがあります。秋蒔きは、発芽の揃いや発芽率が悪い欠点がありますが、初花の開花までに株を大株にできる利点があります。但し、発芽から休眠までの期間が充分に取れない、寒冷地では極端に小さな株で休眠するために、冬期に枯死する危険性があります。春蒔きでは、播種が遅れると、翌年の開花率が悪くなりますので、加温室やビニールフレームで早目に蒔くほうが良いようです。播種は、肥料気の無い用土で覆土は種子がようやく隠れる程度とし、水は如露でかけるようにします。水を切らすのは禁物ですが、腰水は、発芽、生育共によくありません。

育 苗
 本葉3〜5枚、草丈5〜10センチで小鉢に1本づつ鉢上げし、根がまわったら、本鉢に鉢上げ、または、圃場に定植します。実生の生育は旺盛ですから、肥料は多めに与えます。春蒔きの場合、5月〜7月頃に定植することになりますが、この時点では、株分け苗よりも小さいのが普通です。けれども、丈夫な実生は、じきに株分け苗を追い越して、秋口には立派な大株になります。定植後は、一般的な栽培と同様の管理を行ない、翌年の開花を待ちます。 

開花選抜
 育種作業の中で、最も楽い仕事です。次々に咲いてくる実生の花は、千差万別で、興味が尽きません。特に、今迄に見た事のないような素晴らしい花が咲いたときの感激は、格別で、これが育種をする者の最大の特権と言えます。自分の気に入った花を選抜して、新品種の候補としたり、次の交配親に使ったりします。理由は後で述べますが、選抜の際に、花の善し悪しだけでなく、どんな交配から出たかも考慮する事が、継続的な品種改良では大切です。良い花を選ぶのは楽しいのですが、選び残しのいわゆる実生クズを処分するのは中々骨が折れます。けれども、次の実生圃場を確保する為には、不可欠な作業で、優秀な育種家は、みな処分上手です。



(2)自然結実と交配
 花菖蒲は、自然状態でも比較的よく結実する園芸植物ですから、その種子から品種改良をスタートすることも可能です。しかし、やみくもにこれらの種子を蒔くよりも、親株を選定して交配した種子を蒔いたほうが、良い花が出る確立が高くなることは、誰にでも想像が付く事だと思います。ただ両者にどれくらい効率の差があるかといえば、ちょっと返事に困るのではないでしょうか。
 実際に実生を育ててみた結果を申しますと、その差は想像以上に大きく、漠然と採種した自然結実の種子と交配種子では、少なくとも数倍、一般的には数十倍以上の差があるように思われます。土地がいくらでもある場合には、自然結実でもなんでも、とにかく沢山育ててみるのも良いと思いますが、場所と栽培の手間に制限があるのが普通ですから、交配種子からスタートするほうが賢明です。
 自然結実の種子からでも、良い実生が得られることはありますが、概して野性的なシンプルな花が咲くことが多いようです。肥後系などの極大輪品種は、自然に結実することが少ないので、発達した花型の新品種を目的にする場合は、どうしても交配することが必要になります。



(3)交配親の選定
 花菖蒲は花の構造からしても分かるように、他殖的な傾向が強く、大抵の品種が遺伝的に固定していないので、その実生は、往々にしていろいろなタイプの花が混在することが多いようです。とは言っても、やはり親に似たものが多く、良い親からは良い子供が出る可能性が高くなるのは当然です。
 良い親とは、品種改良の目的によって違ってきますが、一般的には、育種家の気に入った品種が選ばれることになります。基本的にはこれで良いのですが、交配親の選定には、いくつか配慮しなければならないポイントがあります。



(4)雑種強勢と近交弱勢
 詳しい説明は別の機会にしたいと思いますが、花菖蒲では、近親交配を繰り返すと、概して性質が弱くなり、生育の思わしくない個体が多くなる傾向があります。これと反対に、比較的縁の遠い品種(例えば伊勢系と肥後系、江戸系とアメリカ系)を交配すると、その子供は、概して丈夫で旺盛な成育を示します。生育の弱い品種であってもかまわないときや、特定の形質を分離させたいときは、気にしなくてもかまいませんが、丈夫な品種を作りたいときには、同系統の品種ばかりを交配することは好ましくありません。



(5)形質の遺伝様式
 性質の違う品種同士を交配すると、その子供に現れる性質と、そうでない性質があります。遺伝学的には、優性、劣性と言われるものです。優性、劣性の詳しい説明は、専門書に譲ることにして、ここでは、優性形質は出しゃばりで他の形質の品種を掛けたときにも子供に現れやすく、劣性形質は恥ずかしがり屋で他の品種を掛けると隠れてしまって子供には表現されない、と覚えてください。
 たとえば、三英(優性)の花を交配すると、その子供は、全部あるいは少なくとも半数が三英となります。全てが三英になるか半数が三英になるかは、使用する品種によりますが、どんな組み合わせでも、三英の子供がまったく現れないことはありません(確率的なものですから、個体数が少ないときには、三英の子供が得られないことも希にあります)。一方、ピンク(劣性)は、違う色の品種と交配した場合に、他の色に押されて、その子供にピンクが現れることは殆どありません。つまり、ピンクx紫、白xピンク、ピンクx紅紫といった交配では、子供にピンクは殆ど出てきません。ただし、ピンク同士を交配すれば、子供の大部分がピンクとなります。
 このように、形質によって子供への伝わり方が違いますから、品種改良をする場合の、交配計画の立て方も違ってきます。三英花のような出しゃばりな優性形質については、特別に交配計画を作らなくても、交配の片親に三英花を使って、子供に多く現れる三英花の中から、気に入ったものを選べばそれですみますから、交配選抜の単純な繰り返しで改良を進めることができます。
 早咲き系も優性的に遺伝しますので、同様です。しかし、ピンクの様な恥ずかしがり屋の劣性形質が改良の目標である場合には、計画的な交配が必要です。多くの育種家が、ピンクの改良を志しているようでもありますので、ピンクの花を例にとって、劣性形質の改良について、その方法について考えてみましょう。

ピンクの品種改良
 
上にも書きましたが、ピンクの品種同士を交配すれば、その子供の大部分がピンクとなりますので、この繰り返しで改良を行なうことも考えられます。然し、その様な交配に終始するのは、あまり進歩的とは言えません。ピンク品種間の交配では、似たような品種同士の交配となりがちで、飛躍的な改良は望めませんから、わずかづつの進歩で満足せざるを得ず、その進歩も世代を重ねるごとに段々小さくなって行きます。また何世代も同系同士の交配を繰り返すと、近交弱勢の問題も起こってきますので、系統の異なる品種と交配する必要が出てきます。
 ここで気を付けなければならないのが、ピンクの花色は他の色と交配をした場合には、子供にまず現れないことです。多くの人は、ピンクと他の色の交配を行なってみても、その子供にピンクの花が得られないため、この段階であきらめてしまい、その後はピンク同士を交配して、わずかばかりづつの進歩で満足しているのが現状のように思われます。
 では、どのようにして交配を進めるのが良いのでしょう。ここで一つ、知っていただきたいことがあります。ここで見るピンクのように、子供にまったく現れない片親の性質(劣性形質)は、子供に伝わらなかったように考えられがちですが、実は、隠されているだけで、子供に確実に伝わっているのです。すなわち、その全ての子供は、表現形に現れていないだけで、ピンクの遺伝子を受け継いでいるという事です。言い換えると、ピンクを片親に持つ子供はどんな花色をしていようと、全て例外なしに、ピンクの遺伝子を隠し持っているのです。
 このことを考慮に入れて、次のステップを考えてみましょう。それは、ピンクと他の色を交配した子供を、もう一度交配に使うことです。全ての子供に、ピンクの遺伝子がどの株にも同じように隠されているわけですから、花色以外の性質(花形、大きさ、草姿、開花時期、丈夫さなど)を見て、なるべく理想に近い株を選びます。その株と交配する相手としては、ピンクを片親に持つ別の交配株、あるいは、ピンクの品種(親そのものでも、別品種でもよい)を用います。そうすることにより、次の世代(最初の交配から見ると孫の世代)にピンクの花色を発現させることができます。その中には、今までにない素晴らしいものがあるはずですから、その株を選抜して品種とします。この段階で、ピンクと関係のない品種を交配相手に使うと、ピンク遺伝子は、またまた埋もれてしまって、表面に現れてきませんから、注意が必要です。

 このように、一例としてピンクの品種改良について触れましたが、他の性質の品種と交配すると、隠れてしまって子供に現れてこない恥ずかしがり屋の性質(劣性形質)は、かなり多く存在し、しかも鑑賞価値の高いものが多く含まれます。いろいろな性質が、強く伝わるのかどうか(優性なのか劣性なのか)については、別項の「花菖蒲の遺伝」を参考にしてください。



(6)ラベルについて
 上記のような計画的な交配を行なう場合、重要な意味を持つのがラベルです。なぜなら、その子供がピンクと別の色の交配であることを確認するには、花がピンクでないわけですから、ラベルなどの記録を見る以外にないのです。ラベルがしっかりしていなかったり、ついていない場合には、花だけを見て選抜や、次の交配親を決めることになります。ピンクと他の色の交配では、平凡な色の花ばかりが咲くようになりますので、大部分が見過ごされる形になりがちです。ピンク以外の系統の育種も平行している場合には、この傾向がより強く出ます。実のところ、当園でもこの通りで、ピンクに関する交配を数多く行なってきた割りには、進歩がありませんでした。最近では、交配親を知った上で選抜することの重要性が、やっと解かってきましたので、選抜の際には、花より先に交配親を書いたラベルを見るように心がけています。
 ラベルを見て交配親を確認してから、花を観察すると、その花に隠されている遺伝子も推測することができるようになります。ただ単に表面上に現れている性質だけを見て、交配、育種を進めていくのと、その中に隠されている遺伝子までも見抜いて、その後の組み合わせを考えるのとでは、その後の成果に大きな差ができます。極端な言い方をすると、表面(実物の花)だけを見ているようでは、ダイナミックな品種改良は困難です。ラベルや記録をしっかりと付けて育種を行なうことは、交配数や育てる実生の数を増やす事より、はるかに重要です。
 


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